エピソード

山キとの出会い

「相談したい物件があるんですけれど。」
始まりは知り合いの不動産屋からの一本の電話でした。
不動産屋を何軒もまわったが引き取り手が見つからない。
そんな古民家の紹介を受けことが山キとの出会いでした。

最初に訪問した時の山キ

山キを知る

「結構年季入ってますね。」

不動産屋:「そうなんです。残留物も結構残っていて…」
中に入ると、住んでいた方の生活の様子がどことなく残ったまま。
無人の静寂さは廃屋感を滲み出し始めていた。

「これはなんですか?」
不動産屋「薬箪笥みたいです。どうやら江戸時代から続く売薬一家だったらしくて。」

「面白いですね。薬箱もたくさん。」

不動産屋「ただ、駐車場はありませんし、土地もうなぎの寝床※なので、なかなか…」

「家主さんにお会いできませんか?」

※うなぎの寝床-間口が狭く奥行きがある長細い地形や建物・新たに家を建てるとしても自由な設計がしづらいため取引されにくい。

山キの焼印が押された薬箱

成田家との出会い

後日、お会いしたのは、この家に住んでいた母娘だった。

「どの程度、住んでいたんですか?」
お母様:「家族4人で、60年ほど住んでいました。昔は、台所にかまどがあったり、外には井戸もあったりしたんです。」
「売薬さんでいらっしゃったんですよね?」
お母様:「はい。江戸時代から代々続く薬屋でした。主人は82歳でこの世を去りましたが、70代までは現役でした。」
「70代まで続けていらしたなんて、かっこいい旦那様ですね。」
娘様:「ただ、お客様のほとんどは北海道で、父が富山に居るのは1年のうち2ヶ月程度だったんです。」
「1年に2ヶ月…。短いですね。」
娘様:「当時は一緒に居れないことがとても寂しくて。恥ずかしい話ですが、毎回父が北海道へ向かう後ろ姿を見送ったあと。『お父さん、また居なくなってしまったよ。』とよく泣いていました。」
お母様:「はたから見たらボロい家かもしれませんが、私たちにとっては思い出が詰まった場所なんです。」
「ちなみに、お父様に屋号はあったんでしょうか?」
娘様:「たしか、『ヤマキ』という屋号でした。薬箱にも焼印でロゴが押してあります。」

成田家の昔の家族写真

売薬宿屋「山キ」へ。

成田家が住んでいた売薬一家としての歴史、家族の思い出が詰まったこの家、この建物が持つ物語には、多くの方に何かを感じさせる価値がきっとある。
そして「山キ」は想いを継いだまま次の役割へ生まれ変わったのです。

生まれ変わった山キ

オモイエプロジェクト

思い出に「価値」を。
この“泊まれる資料館“山キは、プロジェクトの第一弾です。
思い出や歴史を「処分」するのではなく、「受け継ぐ」。
そしてそこに価値を見出す活用方法を提案することがこのプロジェクトの趣旨です。

様々な空き家相談を受ける中、昔から感じていたことがあります。
それは不動産屋と空き家オーナーが物件に向き合う温度差でした。
従来は不動産屋は物件のオーナーに『売却』『賃貸』の二択のみ提示してきました。

しかし物件をご案内してくださるオーナーの方々は、
「この玄関、当時父がこだわりを持って設計したんです」
「この庭、とても素敵でしょう」
自身が過ごした場所、そこには長い時間と思い出がたくさんあること。
まるで昔を思い出し、時がさかのぼったかのように紹介していただけます。
不動産屋にとっては『残留物』であっても、すべては『思い出の一部』なのです。
まして家は生涯最大の高い買い物です。
必ずそこに関わった誰かの想いが、そして物語があります。
「オモイエプロジェクト」は空き家の所有者さんと、その家にしか無い物語を大事にし新たな活用方法を共に考えていきたい。
そんなプロジェクトです。

富山の人こそ泊まっていただきたい

宿と聞くと、旅人だったり県外や海外のゲスト様を対象と思われるかもしれません。
しかし富山の人にこそ泊まっていただきたい。
その理由は、「越中富山の薬売り」「置き薬の文化」「北前船」みなさまがなんとなく知っている文化。
成田家はその昔、売薬さんの中で唯一北前船を所有していたそうです。
売薬さんが北前船に乗って、北海道で商売をしていた。
そんなことを想像したことがある方は一体何人いるでしょうか。
売薬宿屋山キはそんなエピソードを宿内で五感で感じ取ることができる“泊まれる資料館”なのです。
だからこそ、富山の人にこそ泊まっていただきたいと強く思っております。

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